テレビ会議とは、映像を使い遠隔地との間で、相手の顔や声を見ながら、ミーティングすることを実現する電子会議技術。1対1だけでなく、3拠点以上を結んでのテレビ会議もある。
専用の端末かPC用のソフトウエアがあり、基本的には、ISDN(H.320)かIP回線(H.323)で使う。テレビ電話では、数は少ないが一般公衆回線を使うタイプもある。端末2台があれば、テレビ会議が行える。3カ所以上であれば、MCUという装置が必要になる。MCUは多地点接続装置と呼び、3カ所以上を同時に接続してテレビ会議を行えるようにする装置。この装置を購入するという方法があるが、テレビ会議多地点接続サービスを使う方法がある。
テレビ会議という呼び方は、もっとも古い呼び方のようで、最近はメーカーによっては、ビデオ会議という呼び方もある。他には、テレビ電話会議、ビデオカンファレンス、映像コミュニケーション、ビジュアルコミュニケーション、画像会議などさまざまな呼び方がある。電話やFAX、メールみたいに統一化された言葉は現在ない。
テレビ電話とテレビ会議の違いだが、技術的には中身はほとんど同じ。コンシューマーを意識した製品か、それともビジネスを意識した製品かで、メーカーで、Aの製品はテレビ電話、Bの製品はテレビ会議と呼んでいるようだ。
強いて言えば、電話のようにテレビ電話は、1対1を想定したものであるため、テレビ(相手が見える)電話となるが、テレビ会議については、会議という言葉が示すとおり、ビジネスミーティングを想定した製品ということから、そういった意味で、テレビ電話とテレビ会議をわけているという面もある。しかし、テレビ会議かと思っていると、テレビ電話と呼ばれることもある。逆はあまりないが、その点境界線は曖昧となっている。
ちなみに、なぜビデオ会議かということだが、英語が“video”conferencingという言葉になるため、“ビデオ”会議としたという経緯もあるが基本的にユーザーから発した言葉ではなく、逆にメーカー側から出てきた言葉。
英単語が出てきたので余談だが、、「Videoconferencing the whole picture」 (James R.
Wilcox著,2000年)によると、videoconferencingという英語単語の由来は、videoは、 ラテン語のvidere見る(I
see)から来ており、conferencingは、conferre、人を集める(bring together)から来ている。また、videre(見る)とaudio(聞く)と合体させた言葉が、videoとなる。videoというと映像、イメージという意味で使われるが、本来の意味を厳格に捉えると、映像と音声の組み合わせをvideoと呼ぶ。
話は戻るが、今まではテレビと同じくらいの映像品質はテレビ会議では無理だった。しかし、一般のユーザーからすると、テレビ会議という言葉から発するイメージというものを見ている。一例では、昔テレビ電話を紹介したら、画面を見るなり、「これはテレビじゃないじゃないの。これでは使い物にならない。」という話になったことがある。
つまり、こういった悪いイメージを打開するため、テレビとテレビ会議は違うのだというイメージ作りと、テレビ会議に対してより先進的なイメージを作るという目的のもと、ビデオ会議という言葉が出てきた。
メーカー販社などによってテレビ会議と呼ぶところもあるし、ビデオ会議と呼ぶところもある。製品、技術の違いというよりはイメージ戦略的という考え方が適切かと思う。
80年代以前からの新聞を見てみると、ほとんどテレビ会議という呼び方で、ビデオ会議という記事の書き方をしているのは、最近になって増えてきているの感じだが、まだ少数派ではあるが専用端末メーカーだけでなく、新興のウェブ会議システムのメーカーなどもビデオ会議と呼ぶところが増えている。
ビデオ会議という言葉が出てきた当初は、テレビ会議に対する新鮮なアプローチという印象があったが、今度はビデオという言葉から発するイメージはどうかという問題もあるような気はする。一般のユーザーがビデオから想起する言葉は、ビデオデッキ、ビデオゲーム、ビデオカメラなど。また、各家庭に普及したビデオは、テレビから録画された映像のため、リアルタイムではないし、映像はテレビよりコピー処理をするため若干悪いのが普通。また、特に最近テレビ映像に近づいているビデオ会議は、一般のユーザーからもつ言葉のイメージからしっくりこない。
確かに、英語では、videoであるので、ビデオという言葉が、英語との調和性ではしっくりいくが、日本語環境だけで考えた場合、イメージの整合性はどうかという気もする。寧ろ英語は忘れて、日本語環境でベストな言葉を考えたほうがよいのではないだろうか。これはIT全般に言えることだが、欧米からの輸入であるため、適切な日本語が見あたらないということが最大の原因とは思う。
畑村式「わかる」技術(畑村 洋太郎著 講談社現代新書)によると、人間は、自分の周りで起こる事象を理解するためのテンプレートを持っているという。テンプレートが沢山ある人は、それだけ理解力が高いし、人はすでにもっている、そのテンプレートを適用することによって新しいことを理解しようとする。しかし、テンプレートがないと理解はできない。ということをこの本では言っている。
畑村式にテレビ会議、ビデオ会議を理解しようとした場合、特に今まで使ったことがない人が理解しようとした場合、今の言葉で適切なのかという疑問は残る。つまり、テレビ会議とビデオ会議、それぞれの言葉から適切なイメージを描いてもらえるかどうかということだ。
また、テレビ会議、ビデオ会議以外にも、テレビ電話会議、ビデオカンファレンス、映像コミュニケーション、ビジュアルコミュニケーション、テレビ電話、ビデオフォンなどなどという言葉が使われるということは、ユーザーの観点からするとわかりずらい面がある。
ビジュアルコミュニケーションは、映像通信の意味で使われるが、デザインの分野でもビジュアルコミュニケーションという言葉は使われる。
映像コミュニケーションと言った場合は、テレビ会議というビジネスでの打ち合わせなどで使うという意味合いを超え、今までのテレビ電話とテレビ会議だけでなく、そして映像を使った利用、たとえば、テレビ受付、遠隔授業など幅広い意味を持っているため、逆に映像コミュニケーションが、それら全てを含む総称言葉となって使われていることも見られる。
これらについては何とかしなければならないという意識は業界にはあるが、なかなか進んでいないというのが現状。ひとつは、英語からの発想の離脱が必要なのかもしれない。我々の日本語の感覚ではどうなのかということだ。
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